2ntブログ

鷹木はキモオタオヤジSMクラブ経営者だった。

チャイムを鳴らすと、スタッフらしい人物が出てきて、入口近くの応接スペースにそつなく案内してくれた。
そこがマスターズクラブの受付所である。

鷹木とは2ch上でかなり親しくなっていたが、「憧れの1さん」がどんな顔なのか、どんなオーラをまとっているのか、とにかくドキドキしていた。
例えるなら、それは長く文通していた女性に初めて顔を合わせる時のような感じだったと思う。

ほどなくして「ようこそようこそ。いや~ごめんねえ、お待たせしちゃって。もうちょっと待ってね。」といった調子で、鷹木が一瞬だけ奥の方から顔を覗かせた。

Tさんと私は目を丸くして顔を見合わせ、苦笑いした。

私たちの目にまず飛び込んできたのは、禿げた頭髪と明らかに足りてない前歯。次にごちゃごちゃした柄のセーターに祖父が履いていたようなグレーのスラックス。
一言でいうと、有り得ないほどのダサさ胡散臭さ気持ち悪さが漂う50代のおっさん。

思いつくキーワードを並べると、見た目は競馬場、競艇場、ストリップ劇場にいそうな、、喋り方はあの映画「電車男」に出てくる主人公のネット上の友人たち。これでなんとなく伝わっただろうか。

まあ理想と現実は違うというありきたりなトラップにはまったと言えばそうなのだが、鷹木が2chで書く文体がそう妄想させたのは間違いない。

当時は鷹木のセルフブランディングは見事だなんて思っていたが、今思えば、鷹木自身はそんなつもりはなく、周り(私たちを含め)が希望的観測で妄想していたに過ぎないのだろう。。

改めて私たちを来客として迎えた鷹木としばし受付所で他愛もない話をした後に、近くにフーゾクの経営者です。で絡みのあった他のスレ住人(経営者)も近くにいるとのことで、近所のルノアールに場所を移すことになり受付所をあとにした。

私は自分が想像から逸脱した鷹木の姿に対するショックが大きすぎて、受付所で話したことをあまり憶えていない。
ただ、デリヘルと箱ヘルしか知らない私からしたら、いわゆる受付型(ホテヘル)のSMクラブの営業形態やSM屋という商売そのものが実に面白く、この時間がのちに私がSMクラブをはじめるきっかけとなったのは確かである。

鶯谷駅近くのルノアールに到着すると、もう一人ゲストが来ると鷹木が言うので、しばしの間、「フーゾクの経営者です。」スレッドに登場する人物の話などをしていた。

ほどなくしてゲストが現れた。
スレッドの主要メンバーの一人、当時鶯谷で「OLコスプレ」のホテヘルを経営していて、スレッド内で「ほっとどっぐ」と名乗っていた男だ。

どうでもいい話だが、ちょうどこの頃から2chの「フーゾクの経営者です。」スレッドはマンネリ化してきていて、主要メンバーは流行り始めていたmixiに交流の場を移していた。

ほっとどっぐは彼のmixiでのハンドルネームだったような気がるが、2chでなんと名乗っていたかは思い出せない。
彼とも後に交流を深めることになるのだが、そのあたりはまた改めて書くことにしよう。

それにしても、鶯谷のルノアールの客層は今思い出しても面白いものだった。

明らかにチンピラのような風貌の男たち、ゼロハリバートンのアタッシュケースをテーブルの上に拡げてマルチ商法の勧誘を行う男、アパホテルの社長のような成金ババア、まともな人間を探す方が難しい。

ルノアールの客層は独特だと思うが、日本一ラブホテルが多い駅「鶯谷」のルノアールは一線を画していた。
もちろん、まあその中にいた我々風俗経営者の4人組も例外ではないのだが。

話はそれたが、当時は風営法の改正で受付所の営業に規制がかかり、ちょうど施行される直前だったので、ほっとどっぐか来てからはその話に終始した。

ほっとどっぐは我の強い男で、やたらと鷹木に対しての態度が威圧的で、鷹木が何か発言をするたびに、強い口調で反論するので、なんだか面倒臭そうな男だなと思っていたのと同時に、それに対してたじたじになる鷹木を見て、ある種の諦めというか、「あ、この人こういう扱いされてる人なんだ。」とその時に悟った。

それでも私の想像にも及ばないSMクラブという未知の世界で生きる鷹木という人物へ対する興味は尽きず、本拠地に戻ってからも鷹木とはたまに連絡をとり、関係を深めていった、

続く。

腐れ切ったこのブログを再開します。

ありきたりな放置ブログになってしまった以上、無意味な言い訳をする気はないが、ひとまずブログの再開をここに報告したい。

放置となった理由はさておき、再開する気になったのは、この間に全く趣旨の異なるブログをはじめ、それなりのアクセスとそれに付随する広告収入を得るようになったところによるものが大きい。
なぜなら、私のこれまでの経験は一般人からしたら特異なもので、このまま墓場まで持っていくのはあまりにももったいないからである。
もったいない論は好きではないが、これを社会にアウトプットしないことは宝の持ち腐れといえよう。

そして、経営者視点で語られることが少ないこの風俗業界のリアルを、風俗業界と決別した私がブログという市民メディアを通じて吐き出すことは、ある種の使命のようなものだと感じているのも事実だ。

故に再開することにした。


さて、せっかく再開することにしたのだから、今後私がどのようなことを語るのか。
少なくとも今思いつく範囲で告知しておきたいと思う。

まず、途中で投げ出してしまった元鶯谷のSMクラブ経営者の鷹木について。
その他の人物については、その当時に付き合いのあった、鶯谷のホテヘルのオーナー、渋谷のM性感店のオーナーなど。
風俗業者の実態という点では、脱税の実態、暴力団との繋がり、売上や経営者の稼ぎ、横の繋がり、警察との関係など。

他にも風俗嬢のリアルについては、男性読者も大い興味があるところだろう。
男性従業員や経営者などとの関係、客との店外での付き合い、プライベート、収入など、これについてはネタはつきない。
なにせこれまでに何百人という風俗嬢と接してきた上に、その中には肉体関係をもった相手も数え切れないほどいるわけだから当たり前だ。

興味がないなら見なければ良い。臭いものほど嗅ぎたくなるのが人の性。
大いに期待してもらって結構。

次はひとまず鷹木の話から始めたい。興味のない人には申し訳ないが。

ではまた。

鷹木との出会い

このコラムを開始したばかりのこのタイミングでこの男のことを語るのは本望ではないが、なにせ鷹木はつい先日この世を去ったばかり。
人々の記憶から葬り去られる前に語るのが良いだろう。

鷹木との出会いはおよそ10年前、2005年。

当時、私は事業に失敗して、背水の陣で私を含め友人と3名でデリヘルを開業したばかり。
風俗を開業すれば儲かるという素人の発想とは裏腹にとにかく店は暇だった。
人員は3名もいるものだから、受付を担当した私は朝から晩までネットサーフィンの日々を過ごしていた。

そんなとき、2chで面白いスレッドを見つけた。

その名も「フーゾクの経営者です。」という名のスレッド。

そのスレッドを立てたいわゆるスレ主が鷹木だったのだ。

私は仲間がいたものの、他の二人は風俗においてはズブの素人、風俗関係者の話相手が欲しかった。
スレッドの住人は「単なる冷やかし」や「業界関係者」の他、実際に風俗経営者もそれなりにいた。

鷹木はスレの中では「1さん」と呼ばれ、主に風俗経営者への興味本位の質問や開業希望者の相談などに答えており、スレ内では当時鷹木が経営していたとされる鶯谷のSMクラブ「アレスト」やその後継店となる「マスターズクラブ」という実店舗名および「鷹木」という名前は既に晒されていたが、鷹木はあまり気にしていない様子だった。

鷹木はスレ内での質問等には真摯に答え、誹謗中傷にも動じない強靭なメンタルを持っていて、何よりも文才に長けていた。
ある意味、そこに集まる他の経営者とは別格で、それにも関わらず非常に友好的な態度、それはそれは私の目には偉大な人格者のように映った。
気がついた時には鷹木のファンになっていたのだ。崇拝に近い感覚さえあった。
ちなみに今となっては知る由もないが、なぜ鷹木がスレを立て、何の利益にもならないスレの運営に時間を割いていたのかは私にはわからない。

そして私は札幌のヘルス時代の先輩で同じくデリヘルを開業したばかりのソウルメイトのTさんと鷹木に会いに行くことになった。
鷹木はスレ内での対応と変わらず、基本的にはリアルでも来るものは拒まず、私たちの訪問を歓迎した。

私たちはそれぞれの地から羽田に降り立ち、都内某所で落ち合いその足で鶯谷へ向かった。
鶯谷に到着してすぐに電話をして、そこから鷹木に案内される通りに道を進み、雑居ビルの2階にあるマスターズクラブの受付所に到着した。

そしてついに鷹木と対面することになるのだが、想像していなかった鷹木の姿に目を疑ったことを今も忘れない。

続く。

簡易自己紹介。

ごきげんよう。

初めてお目にかかるので簡単な自己紹介をしようかと思う。

年齢:38歳
居住地:西日本

経歴:
1977年 千葉県に生まれる。
1999年 トヨタ系ディーラーに整備士として入社
2000年 退社
2000年 東京の闇金に入社
2000年 札幌支店の立ち上げで札幌へ
2001年 退社、独立
2001年 闇金経営の傍らすすきのヘルスでバイト
2002年 結婚を機にすべてリセットして堅気に転身
2003年 妻子を置いて西日本へ
2004年 仲間3名とデリヘル開業
2006年 仲間と離別してSMクラブ開業
2011年 国税局の強制捜査
2012年 経営権を譲渡

ざっとこんなところか。

一般人からすれば知りたくても知れないような数々の経験があるのは言うまでもない。

もし私にオモシロおかしく語るだけの表現力とボキャブラリーがあるならば、
自叙伝を出版しても飛ぶように売れるだろう。

本気でそう思う。